子どもの人生は親のものじゃない!と言うけどエゴのない子育てなんてあるか?息子のトイレ問題と中学入試をさせたがる母親と不登校Youtuber

どうも、毎日ブログを書き殴ってます。

なるさんと言います。自分が大好きなナルシストです。

 

さて、最近10歳の不登校の男の子が不登校についてのYoutuberになったことが話題になってますよね。

(書きなぐりなんで、記事は自分で検索して見つけて下さい)

この子は「学校に行きたくない子は行かんくていい」と言ってるんですよね。

これが許されるのか?と言うので賛否両論が出てますね。

学校と言う強制的に同じ年代の人間と過ごす閉鎖的な空間を強制される時代は終わった。

学校に行かなくても学ぶことはできると言う賛成意見を発する大人もいれば

でも、学校で身に着く他人と折り合いをつけていく能力などの社会性は大事じゃないか?

「行きたくないから行かない!」と言っているのを「どうぞどうぞ」と許したり賞賛するのは、大人として無責任じゃないか?と、言う大人もいます。

 

僕ならどうするか?と言われれば、やっぱり学校に行かせますね。

大前提として陰湿なイジメなど致命的な心の傷を負うような状態は別です。

自殺とかするくらいなら学校なら行かなくていいです。命あっての物種です。

子どもがイジメられたらどうする?は自分も小学校の時の体験があるので、妄想することがあります。

息子と格闘技習うとか探偵雇ってイジメの証拠を徹底的に探すとか、医師の診断書持って警察行くとか物騒な結論になりますね。転校もありかな?

それか、不登校になっても勉強だけは遅れないように自分で教えるかな?(多分、学力だけならそっちの方が伸ばせる気はする)

ただ、子供が学校に行かない理由が「ちょっと、嫌なことがあった。」とか「なんとなく面倒臭いから」だったら、認めないと思います。

それって単なる逃避行動に過ぎないから。

最近の議論で「子どものは大人の人形じゃない。もっと、自由にやりたいことをやらせてあげるべきだ!」と言う主張を聞きます。

もっともだと思います。もっと自由にやりたいことに子どもが挑戦するべきだし、別に勉強して大学行くだけが人生じゃないんで、何か猛烈に「これだ!」ってものがあったら勉強なんかせずにそっちに人生のパラメーターを全振りするのは、ありだと思います。

ただ、これは「人生はこうすべきだ!」とか「お前は絶対こうなりなさい!」とか「勉強はしないといけない(ただし、親は理由を特に考えてない。聞いても「勉強はしないとダメでしょ!と逆ギレする)と思い込んでる」とか、型にはめるタイプの親と教育が多かったことへの反省と反動で、出てきてる意見だと思うんです。

だから、「これからは子どもに自由にさせるんだ!よし!行きたくないなら行かなくていいよ!」って言って、何も考えてないのは親としてはどうか?と思いますね。

思いついたら書いてるブログなんで、突然の子育て論です。
まだまだ続きますので、明日以降も暇で仕方なければ読んでください。

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