なんで「変人会」をやっているのか?①

僕がやってるネットラジオ「広島変人会」ですが、割と面白い人に出てもらってるつもりですが、イマイチ皆さんに届いてないなぁと悩んでます。

メンバーとも話合ってるですが、「広島の面白い変わった人を紹介する番組」だと、印象が弱いという反省をしました。

そこで、僕が何を考えているかを一旦書いてみようと思います。

まず、なぜ僕が「変わってる」とか「変人」を好むかと言うと、「自分の頭で考えているから」です。

「変人」の対義語は「普通」とか「常識」なんですね。

昔からイライラするんですよ。

「それって『普通』でしょ?」
とか
「『常識』はこうでしょ?」
とか言われるのが

これって、説得力がある強いことばに聞こえるんですが、僕はそう思いません。

それって、判断の根拠を「大多数の皆さんがそうしているから」とか「今まではこのやり方をしてきたから」に求めてるんですね。

日本人の好きな考えですよ、「皆さんそうしてます」という言い方。

何かのたとえ話にあります。
沈没船があって、救命ボートに乗れる人数が限られているので、男性たちに諦めてもらう時に
アメリカ人には
「それが、ヒーローです。」と言い
ドイツ人には
「それが、ルールです。」と言い
日本人には
「皆さん、そうされてます。」と言えば通じるという(笑)

だから、「変人」と言われる人は
「え?なんでそんなことするんですか?」という心ない言葉を浴びながら
「でも。だって○○で、××だから、こうするのがいいと思うんだ。」と自分の言葉で考えながら行動しないといけないんです。(まあ、中には言語化できないけど、直観や嗅覚で行動する人もいるだろうけど、心無い言葉に立ち向かう勇気を持って生きていることは確かです)

それに対して「みんながしていること」をしている人は
「え?なんでそんなことするの?」と説明を求められることがないので、自分の行動を考える必要ないし、そもそも多数派なので「そうだよね~」と共感されたり肯定される居心地のいいポジションにいるんですよ。

ただね、僕に言わせればそんなのただの思考停止ですよ。

自分の人生の生き方や価値観を他者に委ねてボーっと生きてんじゃねえよ!と思います。(とか言ってる自分も誰かの影響を受けてないかと言われると自信がないですが、そういう気概を持って生きてるかどうかという意味で)

だから、ただ変わっていれば良いというわけでもないですよ。
本当に病院のお世話になるような変な人は好きでなくて

他人から「変わっている」と言われつつも、自分の価値観と自分の思考からの行動を貫いてる人が、僕の好きな「変人」です。

そういう人の話を聞くのは非常に気持ちいいです。

ネットラジオ 「広島変人会」

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