神は死んだ。そして18年延命した。~前田さん引退~(過去ブログ再録)

過去に書いたブログをここに再録してます。

今回は、2013年に前田智徳選手が引退を発表した時に思わず書いたブログを紹介させて下さい。

手前味噌ですが、愛のある広島カープファンらしい文章だと思います(笑)

ちなみに僕は、筋金入りのカープファンです。

ずーっとBクラスの頃も応援してきたので、言い方が悪いですが今応援してるファンに関しても「どうせ弱くなったらお前らさーっといなくなるんだろ?」と思ってます。

本当にね、暗黒期のころって、カープ見るのは「心の鍛錬」だったんです。

愛するチームがボコボコにされるのを見てやけ酒を飲み、たまに勝つのをみて祝杯をあげる。

そんな日々でしたね。

そんな日々の「神」が「前田智徳さん」だったんです。

今回は引退報道のその日に書いてます。

正直今回は感傷に浸りすぎてひどい内容になるかもしれませんがご容赦下さい。

広島東洋カープの前田智徳選手が引退を発表されました。

自分にとって、前田選手は常に「前田さん」でした。

なんでしょう。自然と頭が下がるというか、絶対に呼び捨てにしたくない選手なんですよ。

大分敬意は薄れましたけど、現在の監督の野村監督も現役のころは「野村さん」としか呼べませんでした。

今、前田さんの打席を思い出してみると、一番思い出すのは何か?

それは四球です。

一番、前田さんにふさわしいシーンはチャンスで「バッターは前田。」と呼ばれる場面です。(特に近年は代打だったので特に)
会場の広島ファンは沸き立ちます。
正直に言えば、試合の終盤の打席に立つ前田さんを見られれば、カープファンをやってられたのです。

ひいき目ですが、「天才」「侍」と言われた彼が打席に入る姿はとてもオーラがありました。

そして、そのオーラを感じた相手も、甘い球は投げません。いえ、投げれません。

かなりの高確率でボール球は見逃します。

そして、四つ目のボールが入ります。

すると、前田さんは、ポイッとバットを投げ捨て、
「なんじゃ、勝負せんのか。」
と、つまらなそうな顔をして一塁に小走りに向かいます。

全ては前田さんのオーラがなせる業でした。
これに、会場のカープファンはどっと沸きます。
「役者が違う!」と。

ちなみに、前田さんが凡退する時は、不用意に来た甘い球を打ち損じた時で、打ち損じなかった時がヒットが出た時だと信じてます。

これが、私の前田さんイメージでした。

また、明日以降も続きを書きますのでお付き合いください。

 

続きます。

ファンにあるまじきかもしれませんが、私は大学に入るまであまりカープの試合を見てませんでした。
強かったので勝って当たり前だったのです。

91年が最後の優勝ですが、97年までは広島の訳知り顔な大人たち(うちの両親を含む)は「カープは優勝すると選手の給料を上げないといけんくなるから、わざと2位くらいにしとるんよ。ケチな球団だからね。」
と、言ってました。

今から思えば幸せな時期でした。

自宅の3階の自室にこもってファミコンしたり本を読んだり勉強していると、「やった!」といって2階の居間の両親が拍手を突然します。
カープがチャンスで得点したのです。

当時の感覚では、いずれカープはすぐ優勝する、だって今でも2位3位には必ずいて、強いもの、という感覚でした。
ちなみに阪神は不動の最下位でした。たけし軍団と試合して負けてましたしね。

水道の蛇口の様に3回に2回は勝つのが当たり前だったカープが、負けるのが当たり前になった時期に、私は上京しました。
そして、故郷を離れてから初めてカープを見たくなったのです。
不思議なものです。故郷を離れると、当たり前にあった物に不自由な感じを覚えるのです。
わざわざスカパーと契約すると「あ!カープが見れる!」と感じて見ていたのです。
週に5コマしか授業に出席しなくても要領よく単位が取れた私は、大学2年生から4年生まではおそらく年間4、50試合は見ていたと思います。
大学時代は暇でした。野球を見る時間はありました。
高校生の頃に毎試合中継を最初から最後まで見ていたら、多分ろくな大学に受かっていなかったでしょう。
今でも思うのですが、野球の試合を一試合見ると3時間は時間を取られます。
これがほぼ毎日です。
毎日見ていたら、他のことができなくなります。
永遠の謎ですが、カープ通の人や野球解説の人はどうやって毎試合見てるのでしょうか?

ただ、残念なことにその時期は現在まで続くカープ暗黒時代の始まりでした。
半分以上は負けるのが当たり前で最下位にならないのが救いのカープを見続ける羽目になったのです。

そして、それは今も続いてます。
今ではカープは「勝ってくれたらめちゃくちゃうれしい。」
「負けたら『それがカープ』だもの」と、悟れるくらいの存在です。

今のCS出場を決めた絶好調のカープを見てとてもうれしいです。
と、同時に「ああ、80~90年代のカープはこのくらい強かったよな!」
と、思うのです。
正確に言えば思い出させてもらったのです。

その矢先に、強かった時代の主軸の前田さんが引退とは。。。
皮肉なものです

 

そもそもの、今回の前田さん(さんづけでないと呼べないのは①に書いたとおり)引退記事のタイトルについて、そろそろ説明しましょうか?

まず、前田さんは一部(私も含む)ファンからは「神」と呼ばれています。(知ってる人には常識ですが)
前にも書いた通り存在が崇拝されているのです。

そして、(これも常識ですが)前田さんは1995年にアキレス腱を断裂しました。
今では打撃の天才性にばかり話題が行きますが、本当は打撃・守備・走塁の三拍子そろった選手だったのです。

これも有名な話ですが、アキレス腱断裂以降は足に不安を抱え、守備や走塁はおろか、打撃にまで不調になってしまいました。
いっそもう片足のアキレス腱を切ってバランスを直そうとした言う逸話もあります。こういう話がまた、前田さんを神格化させるのです。ついでに書くと、2000年にもう片足のアキレス腱を痛めて復帰してからの、2002年以降の打撃成績がとても良いのです。実はこの発言は常人には伺いしれない、天才ゆえの感覚に基づいた発言だったのかも?と思ってしまいます。

さて、アキレス腱を切って以降の悶々とする前田さんの気持ちが表れた、有名な一言があります。
「前田智徳は死にました。」
と。

前田神にとって、本当の万全の野球人生はアキレス腱を切った時に、終わっていたのです。
そこからは「余生」だったのです。
贔屓も承知で書きますが、彼は「余生で2000本ヒットを打った。」のです。

後でまた書きますけど、アキレス腱を切らなけ「れば」、どれほどの記録を残していたでしょうか?
今も広島にいたでしょうか?

妄想が止まりません。

ただ、逆説的なことも言えます。

実はその「余生」こそ、一番美しかったのではないか?と。

ドラマに必要なのは落ち込む場面です。そしてそこから挽回する場面が美しい。
最近ヒットした「半沢直樹」などそうです。主人公が一度落ち込み挽回するからこそカタルシスが凄いのです。

失礼を承知でイチローを例にとりましょう。
彼は凄いです。取り組む姿勢も素晴らしいです。体調も万全に管理しています。WBCでも決勝打を打ちました。
日米で4000本安打の記録も達成しました。ずっと試合に出てヒットを打ち続けてやっとの記録です。

でも、ドラマ的には安定しすぎているのです。言葉が悪いですが「ああ、今日もイチローが打ったか。」と感じてしまいます。ある意味(これも凄いことですが)「電車みたいな公共のインフラ」になっているのです。

これに対して、前田さんの体調は不安定です。
2年連続ほとんど出場できてない期間もあります。
そうすると復帰すると「けがを治してついに前田さんが戻ってきたぁ!」
「前田さんの打席が見れた!オーラが凄い!凡退したけど。」
「前田さんがタイムリー打った!やっぱ神じゃ!」

不在の期間が長いと、「見れてありがたい。」「戻ってきたことが嬉しい。」になるんです。

それを積み重ねての2000本です。一本一本にドラマ性がこもって美しいのです。

とても美しい「余生」だったと思います。

 

変な言い方ですが、前田さんは「たら」・「れば」だと思います。

天才に対し失礼かも知れません。

でも、私たちは前田さんに「たら」・「れば」を妄想してしまうのです。

一番最大のから行きましょう。

「もし、前田さんがアキレス腱を切っていなかっ『たら』、今頃どれだけの成績を残していたろう?2000本どころでは3000本はヒットを打っていただろう。」

そして、走・攻・守が万全の前田さんがいれば、一度くらい優勝してなかっただろうか?
最低でも何回かはAクラスにいただろう。
今の負け犬カープとは違ったチームになっていたのではないか?

なんてね。まあ、この妄想をするといつも、 「前田さんがアキレス腱切っていなかったら今頃FAで巨人にいるか大リーグで活躍してるはずだよ。」 と言う悲しい現実に直面するんですけどね(涙)

小規模な妄想を言いますと 「今、怪我で離脱している前田さんが復帰し『たら』」 とか 「今年前田さんが怪我せずに一年出場でき『たら』」 とかありました。
で、実際に怪我から復帰した2000年代前半は3割を打ったりするので、現実味のある「たら」でした。

中規模な妄想で言いますと

「広島ファンとしては痛いが、いっそパ・リーグに移籍し『たら』どうだろう? そうすればDHで守備の負担がなく毎試合4打席打てるのに。」 なんてのもありました。
これも、もしも実現していたら移籍した先の球団はどうなっていたでしょうか?
野球の歴史が変わっていたかもしれません。

今後についても「たら」・「れば」はまだまだあります。 小規模な話で言えば「解説:前田智徳」の野球中継を見てみたいです。

実況「ヒット!いい当たりですね?」
解説前田「打ちそこないですよ。まだまだですね。」

なんてコメントをしそうじゃないですか?

中・大規模な「たら」・「れば」を言えば、「コーチ前田」・「監督前田」です。
天才独自の感覚が凡人の選手には伝わらず、厳しすぎて結果が出ない可能性も高いです。
でも、もし選手たちにとって前田さんのアドバイスと指導が有益だったら?
選手たちが前田さんのような打撃をしだしたら!?

妄想は止まりません。

そして、落合監督が「マネしていいのは前田だけ。」と認めていた前田監督が実現したら?

落合さんのようにコーチ経験なしで初年度から優勝とかしないだろうか?

贔屓の引き倒しです。すみません。

最後に、負け惜しみの「たら」・「れば」を言わせて下さい。

もしも前田さんが、あんなつまらない死球で骨折していなければ、あと何年現役で代打できただろう? 
あと何本ヒットを打っていただろう?

ある意味で「たら」・「れば」を残して見送れるこの引退は、前田さんらしいのかも?と思います。

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