我が家のランドセル問題

我が家では「ランドセル問題」という問題がここ半年ありました。

冗談抜きで離婚の危機にもなりそうだったくらい(笑)

ことの発端は、僕が「小学生はランドセルを背負わないといけない理由でもあるのか?」と疑問を抱いたことです。

どう考えても、あのランドセルというものがカバンとして機能的に合致していると思えないのです。

重心のバランスを崩しそうだし、荷物がたくさん入るわけでもない。

たかが、カバンのなのにデパートに刺しゅう入りの「ランドセルさま」が鎮座ましまして、それを数万円(10万越えも)も出して買わせていただく。

これって、おかしくないか?と思うんです。

これをSNSで書いたら「6年間使うと思ったら高くない」と言われました。
だけど、小学校1年生から6年生どれだけ体格が変わると思います?

それを高額な額で買ってしまったせいで、同じカバンを使い続けないといけなくなります。

その結果、1年生にとっては大きすぎて6年生にとっては小さすぎるカバンを使わないといけないわけです。

それだったら、1万円しないくらいのカバンを買って、2年に一回くらいに体の成長に合わせて買い替えればいいと思うのです。

これで、ランドセルの話をすると夫婦喧嘩と言うのが続きました(笑)

分かりますよ。現実的な問題は「みんながランドセルを背負ってるのに、一人だけ違うカバンだと浮きあがる。もしかしたらイジメにあうかもしれない」ということです。

でもね、そう言う発想自体がイジメを生む温床なのではないでしょうか?

日本人に限らないことかもしれませんが、この社会は同調圧力が高めです。

みんなと違うことをするだけで「どうなってるの?」と批難され、逆にどんなに間違ったことでも「みんなそうしているから。」と言えば納得されます。

僕は一年前から「葬式以外では、絶対にスーツにネクタイという恰好はしないと決めてます。」

それは、あんな恰好をしないといけない合理的な理由が思い当たらないからです。

そして、もっと嫌なのが、「みんながスーツを着ているのにスーツを着ないと信用されない。みんなから変な目でみられる。」と言う後ろ向きな理由が説得力をもっていることです。

これって、子供のイジメと同じ構図じゃないですか?

「スーツを着る」を「ポケモン」とか「3DS」に変えれば、立派にイジメの構図です。

子供の世界の歪みは大人の歪みの反映じゃないでしょうか?

と、言うことで僕はイジメに加担しないぞと決めて「スーツにネクタイ」は着ないことにしてます。
ジャケットにスカーフは着るけどね(笑)

こういう信念を持ってる僕にとって「みんなが買ってるからランドセルを買う。」と言うのはあり得ないことなんです。

それで、1月に学校説明会で小学校の先生に聞いてみました。

「あの~、カバンはランドセルって決まってますか?」と

すると

「カバンは何でもいいんですよ!」
と言われました。

これにはビックリ!

なんのかんの言って「こういうサイズで~、こういう基準を満たさないと~。」と決まりがあって、「実質はランドセルしかないじゃん!」と言う結論に到達するんだろうと思ってたから。(その場合はデパートで買わずに通販で安いのを買うつもりでした。)

いったい、どういう過程をへて「小学校に入るときはランドセル」という思い込みが日本社会に浸透したのでしょうか?

ランドセル協会があるのか知りませんが、これを意図的にやったのなら、ランドセル業者のビジネス戦略はあっぱれです。

と、言うことで子供にネットで選ばせて、青いリュックを買いました。
彼にとっての希望は「旅行の時のようにガラガラ引っ張れるカバン」だったからです。

ただ、彼も日本人の心が残っていたのでしょうか?

やっぱりランドセルぽいのが欲しいということでチェック柄のランドセルを買いました。これは、青いカバンのキャリバーを付けることができるのでガラガラできます。

両方とも1万円しない安い値段なので、親としては二つ買っても余裕。
その日の荷物の多さに合わせて使い分ければいいのでは?と思ってます。(青いカバンと比べるとランドセルの容積の少なさはビックリします。)

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