僕は塾の先生をもう13年しています。
基本的には、勉強を分からないところを教えて「分かった!」と喜んでもらい、その結果「テストの成績が良かった」に始まり「行きたい学校に合格した!」という結果がでればヨシヨシな仕事です。
では、なぜ皆さんは塾に来てまで勉強をできるようにしたいのか?志望校に行きたいのか?
一言で言うと
学歴が欲しいから
なんですね。
わざわざ私立の中学に通うために大手の学習塾に通いながら、僕のところに個別に通うのは、
その中学が大学進学に有利だから
なんですよね。
どんなに、立派な理念を唱えようが関係ないです。(校風が自由かどうかは少し関係するとおもいますが)
では、なぜ学歴は必要でしょうか?
それは
就職に有利になるから
がなんだかんだ言って、きれいごとのない本音でしょう。
学歴フィルターと言う言葉もありますし、やはり大手の企業に勤めるには、入学した大学の偏差値は今でも重要です。
ただし、この考え方はある程度有効ですが盲信するのは危険だと思います。
と、言うのは昭和の頃ならまだしも、これからの時代に就職した大手企業で定年まで勤めて安定した人生を歩める率が高くないからです。
競争が激しい時代に、輝いて見えたので就職した会社が、時代の変化とともに業績が悪化してリストラに踏み切ったり、倒産したりすることはザラにあります。(だから最近は公務員が人気が高いのでしょうね。)
これだ!と思ったビジネス形態が40年後の定年の時まで続く方が奇跡でしょう。
だから、これからは「不安定を前提として過ごす」時代だと思います。
逆に言えば、AIの台頭などと向き合いながら、自分が生み出す価値と向き合って環境に適合できるかの勝負の時代でしょう。
また、近年「社畜対フリーランス」と言う言葉もありますが
ネットのおかげで、個人でも価値を生み出すことができる人もいます。
受験に勝って大手企業に就職したのに「俺なんて社畜だよ。脱サラしてカフェやりてぇ。」なんて言う書き込みはSNSでよく見かけます(笑)
さて、前置き(そう、ここまで前置きなんです)が長くなりました。
こんな時代に、失礼ですが「こどもをいい大学に行かせれば幸せになる!」と盲信しているお母さんがわりといるなと実感します。
それは、時代が読めてないという理由もありますが、視野の制限という問題もあると思います。
どういうことかと言うと、親が子供の人生に関わる、方向性をデザインできるのは20歳くらいまでの大学進学までだということです。
就職活動に口出す親はちょっと気持ち悪いし、なかなかいないですよね?
だけど、悪意ではなく親御さんは「こどもが幸せな人生を送れるように。」と願ってます。
そして、熱意がある人は「私が幸せになるように導かなけば!」と肩に力が入ってしまいます。
そして、古き良き「高学歴=優良企業=安定した幸せな人生」と思っている方がまだまだ多いです。
そうなると
「何が何でも、子供に高学歴を!!」
となるのですね。
僕は高学歴は悪いことだと思っていません。
何だかんだいって学力ある人は優秀です。
辛い勉強を頑張れた人は、逃げていた人より評価されるべきだと思います。
ただし、「学歴さえあればいい。」と言う
学歴一極主義は危険だと言いたいです。
先ほど述べたようにこれからの変化の時代には、学力もいりますがコミュ力など様々な変化に対応できる力が必要になってきます。
勉強は必要ですが、勉強さえできれば良い時代は終わりつつあります。
勉強は必要ですがそれ以外のすべての要素を無視していいとはなりません。
もしろ、勉強に関係ない要素こそ大事になってくるでしょう。
ただ、無意識のうちに「自分の力で子どもに幸せな人生を!」と言う人生デザイン厨の親御さんは、「そのためには高学歴を!」と目指して
「勉強に関係ないものは邪魔だ!」と言う反応をしてしまいます。
これって、人生を死ぬまでのスパンで見たら、お子さんのためになってませんよ?と言いたいです。
ただ、どうすればいいのか?については
僕もまだ試行錯誤中です。
取り急ぎ問題意識をお届けしました。
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